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November 21111996

 比良初雪碁盤を窓に重ねる店

                           竹中 宏

良は、琵琶湖の西岸を南北に走る地塁山地。近江八景の比良の暮雪は名高い。商売になっているのか、なっていないのか。いつもひっそりとしている店が、初雪のなかで一層静かに小さく感じられる。窓越しに見える積み上げられた商売物が、この小さな町で生きてきた店の主人の吐息を伝えているようだ。どこか田中冬二の詩情に通うところのある世界である。作者は私の京大時代の後輩にあたるが、名前と作品は彼が高校生だったころから知っていた。すなわち、彼は十代にして「萬緑」投稿者の優等生だったということ。一度だけいっしょに中村草田男に会ったことがある。二人とも詰襟姿で、ひどく緊張したことを覚えている。俳誌「翔臨」(竹中宏主宰)26号所載。(清水哲男)


April 2841998

 蛇穴を出て今年はや轢かれたり

                           竹中 宏

眠から覚めた蛇が穴から出てきた。が、すぐに、あっけなくも車に轢かれてしまった。なんというはかない生命だろう。突き放したような詠み方だけに、余計にはかなさがクローズアップされている。最近の東京では、青大将が出ただけで写真つきの新聞記事になる。それほどに珍しいわけだが、作者は京都の人だから、おそらくは実見だろう。作者について付言しておけば、高校時代から草田男の「萬緑」で活躍し、私とはしばらく「京大俳句会」で一緒だったことがある。当時、草田男に会う機会があり、「これからは君たちのような若い人にがんばってもらわなくては……」と激励された。二人とも詰襟姿で、雲上人に会ったようにガチガチに緊張したことを思い出す。直後、私は俳句をやめてしまったが、彼はその後も研鑽を積み、現在は俳誌「翔臨」を拠点に旺盛な作句活動を展開している。「翔臨」(1998・31号)所載。(清水哲男)


August 1281998

 滝が落つ金槌ならむまぎれ落つ

                           竹中 宏

を見ていたら、何か水とは違うものがまぎれて落ちたような気がした。あれは金槌だったのではないだろうか、きっとそうだったに違いない。と、そんな馬鹿な話はないのだけれど、私はこれを作者の実感だと思う。実際、滝のように水嵩の多い水流現象を見ていると、そこにあるのは水というよりも他の物質のように思えてくることがある。で、何かの拍子で水流が崩れたりしたときに、メタリックな印象が生まれたとしても、それはそんなに不思議なことでもないだろう。誰にでも、起きる幻視のひとつなのだ。でも、滝のなかに金槌を見るという目は、凡人のものではない。俳句に鍛えられていないと、こうは見えない。こういう表現には至らない。どこか空とぼけているようでいて、しかし、あくまでも客観性を手放さないまなざしは、一朝一夕にはつくれないものだということ。プロにはプロの目がある。プロにしか見えないものが、この世にはたくさんあるということ。竹中宏は、高校時代から草田男門の俊才であった。そして、師の草田男には、このような目はなかった。その意味では、作者はこの句(だけではないが…)あたりで、がっちりと自分自身の俳句をつかんだと言えそうである。「翔臨」(第32号・1998)所載。(清水哲男)


November 18111998

 夕紅葉なにも雑へずかく窮る

                           竹中 宏

の人の句には、難しい漢字や読ませ方が多い。主宰誌の「翔臨」を読むときには、辞書を片手にということになる。しかし、よく読んでみると、たしかに難しい漢字や読ませ方が、作者の必然的な帰着であることが納得される。どうしても他の読みやすい漢字では代替できない境地が、そうさせているのだ。句の「雑へず」は「まじへず」と読ませ、「窮る」は「きわまる」と読む。つるべ落としの秋の日を背景に、紅葉が今日を最後とばかりに冷たくも鮮やかに映えている。このとき、「なにも雑へず」という言葉は雑木の紅葉を暗示しており、なにもまじえていない雑木という形容矛盾が、矛盾とは少しも感じられないほどに窮まっているという面白さ。やはり、これらの漢字が使われて、はじめて句は視覚的に凡庸を脱しているのである。作者は京都の人。京都には紅葉の名所は多いけれど、地元の人はそんなところをわざわざ訪ねたりはしない。この紅葉もそこらへんの紅葉、つまり雑なる場所の紅葉だろう。そこが、また好もしい。「俳句朝日」(1998年12月号)所載。(清水哲男)


July 2472001

 重荷つり上げんと裸体ぶら下る

                           竹中 宏

語は「裸」で夏。これぞ「裸」のなかの「裸」だ。もとより全裸ではないのだけれど、まったき裸の凄みを感じる。真夏の工事現場あたりでの嘱目吟かもしれないし、そうではないかもしれない。そんなことはどうでもよいと思われるほどに、この「裸体」には説得力がある。底力がある。人間、いくら生きていても、裸でこのように渾身の力と体重をかけて何かをする機会は、めったにあるものではない。句の男は、それを当たり前のようにやっている。当人はもちろん、見ている側にも、いや句を読んでいるだけの側にも力が入る。単純でわかりやすい構図だけに、よりいっそうの力が入るのだ。こういう句を読むと、炎暑に立ち向かうという気概がわいてくる。小手先でごちゃごちゃクレーンの装置などをいじっているよりも、この男の単純な力技の発揮のほうが、よほど清冽な真夏の過ごし方だと思えてしまう。はたして、この「重荷」はつり上がったろうか。なかなかつり上がらずに、男はぶざまにも宙で脚をバタバタさせることになるのかもしれない。それも、また良し。作者の役割は「ぶら下がる」ときの気合いだけを伝えることなのだから。作者の竹中宏は、十代からの草田男門である。「翔臨」(第41号・2001年6月30日発行)所載。(清水哲男)


October 21102001

 夜の菊や胴のぬくみの座頭金

                           竹中 宏

代劇めかしてはいるけれど、作者はいまの人であるからして、現代の心情を詠んだ句だ。昔もいまも金(かね)に追いつめられた人の心情は共通だから、こういう婉曲表現を採っても、わかる人にはわかるということだろう。「座頭金(ざとうがね)」とは「江戸時代、座頭が幕府の許可を得て高利で貸し付けた金」(『広辞苑』)のこと。どうしても必要な金が工面できずに、ついに高利の金に手を出してしまった。たしかに「胴」巻きのなかには唸るような金があり、それなりの「ぬくみ」はある。これで、当座はしのげる。ひとまずホッと息をついている目に、純白の「夜の菊」が写った。オノレに恥じることなきや。後悔の念なきや。こういうときには、普段ならなんとも思わない花にまで糾弾されているような気になるものだ。ましてや、相手は凛とした「菊」の花だから、たまらない気持ちにさせられる。ここでつまらない私の苦労話を持ち出すつもりはないが、作者が同時期にまた「征旅の朝倒産の昼それらの秋」と詠んでいるのがひどく気にかかる。「征旅(せいりょ)」は、戦いへの旅である。ここで復習しておきたいのは、べつに俳句は事実をそのままに詠むものではないということではあるが、さりとても、さりながら……気にかかる。フィクションであってほしいな。俳誌「翔臨」(第43号・2001)所載。(清水哲男)


May 0352002

 半抽象山雀が籠出る入る

                           竹中 宏

錦の御旗
語は「山雀(やまがら)」で夏。シジュウガラ科の鳥で、鳴き声や色合いといい、なかなかに愛嬌がある。体長は15センチ弱。昔の縁日などで、よく「おみくじ引き」をやっていたのが山雀だ。まずは客が賽銭を渡すと、山雀使いのおじさんが籠をあけ、山雀に一円玉を渡す。すると小鳥はコインを銜えて参道を進み、賽銭箱に金を落とし、鈴を鳴らす。それから階段を登り、お宮の扉を開け、中からおみくじを取り出す。そしておみくじの封を開け、調べるようにクルクル回しておじさんに渡す。で、麻の実をもらうと、ちょんちょんと元の籠に戻って行く。とまあ、こんな段取りだ。見ていて、飽きない。作者も、しばらく見ていたに違いない。が、見ているうちに、山雀のあまりの正確な動きに、具象というよりも抽象的なフォルムを感じてしまった。目の前の山雀は、間違いなく具象としての存在だ。しかし、動きは抽象的と思われるほどに、きっちりと一定の動きしか見せない。そこで「半抽象」という言葉が浮かんできたのだろう。普通の国語辞典では見当たらないが、美術用語としてはごく普通に使われている。「半具象」なる言葉も、よく使われる。そういえば小鳥に限らず、人間に芸を仕込まれた動物の動きは、みなこのような「半抽象」のフォルムに集約されるのかもしれない。彼らは具象として生きながら、半分は本来の複雑な身体機能を奪われ抽象化されてしまっているのだ。その芸は見飽きなかったけれど、どこかに哀れを感じたのは、そういうことだったのかと、掲句を読んでハッと胸に来るものがあった。野鳥保護法で、この「半抽象」芸も息絶えてしまったけれど。俳誌「翔臨」(2002・第43号)所載。(清水哲男)


March 1132003

 馬の子や汝が定型に堪へる膝

                           竹中 宏

語は「馬の子」で春。春は、仔馬の生まれる時期だ。当歳時記では「春の馬」の項目に分類しておく。テレビでしか見たことはないけれど、生まれたばかりの仔馬は、間もなく立ち上がる。立ち上がろうとして、何度もよろけながら、それでも脚を懸命に踏ん張ってひょろりと立つ。「がんばれよ」と、思わずも声をかけたくなるシーンだ。そんな情景を詠んだ句だろう。それにしても「汝(な)が定型」とは、表現様式が俳句だけに、実に素晴らしい。馬が馬らしくあるべき姿は、言われてみれば、なるほど「定型」だ。その定型を少しでも早く成立させるために、仔馬はよろめきつつも、立ち上がろうとする。立ち上がるためには「膝」でおのれを支えなければならず、みずからの重さに「堪へ」て踏ん張る健気さは、生まれてもなかなか立ち上がることをしない人間にとっては、ひどく感動的である。お釈迦様は生まれてすぐにスタスタとお歩きになったそうだが、そんな話がまことしやかに伝えられていることからしても、容易に定型には近づけない人としては、逆にひどく定型にこだわるのかもしれない。ちなみに、馬の寿命はおよそ二十五年ほどだという。つまり、馬三代の時間を人は生きる理屈だが、しからば人はいつごろ定型として立つと言ってよいのだろうか。そんなことも、ちらりと考えさせられた。俳誌「翔臨」(第46号・2003年2月28日付)所載。(清水哲男)


April 1242003

 襞の外すぐに曠き世八重桜

                           竹中 宏

語は「八重桜」。サトザクラの八重咲き品種の総称で、ソメイヨシノ」などの「桜」とは別項目に分類する。桜のうちでは、開花が最も遅い。東京あたりでは、そろそろ満開だろうか。近くに樹がないので、よくはわからない。ぶつちゃけた話が、掲句の大意は「井の中の蛙大海を知らず」に通じている。見事に美しく咲いた八重桜だが、込み入った花の「襞(ひだ)」のせいで、内側からは外の世界が見えないのだ。すぐ外には「曠(ひろ)き世」が展開しているというのに、まことに口惜しいことであるよと、作者は慨嘆している。慨嘆しながらも、作者は花に向かって「お〜い」と呼びかけてやりたい気持ちになっている。「井の中の蛙」よりもよほど世に近いところ、それこそ皮膜の間に位置しながら、何も知らずに散ってしまうのかと思えば、美しい花だけに、ますます口惜しさが募ってくる。といって断わっておくが、むろん作者は諺を作ろうとしたわけではない。だから、この八重桜をたとえば美人などの比喩として考えたのではない。あるがまま、感じたままの作句である。昔から八重桜の句は数多く詠まれてきたが、このように花の構造を念頭に置いた句には、なかなかお目にかかれない。その構造にこそ、八重桜の大きな特長があるというのに、不思議といえば不思議なことである。俳誌「翔臨」(第43号・2002年2月刊)所載。(清水哲男)


May 2952003

 噴水が驛の板前のごと頭あげ

                           竹中 宏

だまし絵
語は「噴水」で夏。何故、こんな絵を持ち出したかについては後述する。句の実景としては、「驛(駅)」の噴水が「頭(づ)」をあげたところだ。その様子が、多く下俯いて仕事をする「板前」職人がふっと頭を上げたように見えたと言うのである。という解釈は、実はあまり正しくない。問題は「驛の板前のごと」だ。実景は「驛に」であり、作者もそこから出発してはいる。だが、見たままをそのまま書いたのでは、この噴水の様子に接したときの自分の気持ちがきちんと表せない。「驛に」としたのでは、どこか不十分なのだ。そこで、強引に「驛の板前」と現実を歪めてみて、やっと自分の感覚に近くなったということだろう。実際には存在しない「驛の板前」を句中に置くことにより、何の変哲もない噴水の様子が異化され、作者にとってのリアリティが定着できたのだった。この方法は、サルトルの詩論に出てくる「バターの馬」と同様で、日常的には無関係なバターと馬とをくっつけることにより、そこにぽっと詩が浮き上がってくる。いままで見えなかった世界が、眼前に開けてくるのだ。作者は新しい句集の自跋で、アナモルフォーズという絵画図法について、熱心に述べている。美術の世界ではお馴染みの用語であるアナモルフォーズは、簡単に言うと「だまし絵」的な描画法を指す。この絵はハンス・ホルバインの『大使たち』(1533)で、アナモルフォーズというと決まって引き合いに出される有名な作品だ。さて、何が見えるのか。二人の男と雑多な器物は、誰にでもそのままに見える。が、注意深く見ると、絵の下方になにやら奇妙に傾いた板状のものがあることに気がつく。何だろうか、これは。と、いくら目をこらしてもわからない。わからないはずで、ホルバインはこの部分だけを正面からの視点で画いてはいないからだ。視点をずらして画面の右横あたりから見ると、くっきりと見えてくるものがある。はて、何でしょう。つまり、この絵で画家は、一つの視点から眺めただけでは世界の諸相や真実はとらえきれないと言っているのだ。アナモルフォーズを巡る議論は多々あって、とてもここでは紹介しきれないので、関心のある方はそれなりの書物を開いていただきたい。掲句に戻れば、「驛に」が正面からの視点だとすると、「驛の」が右横からのそれである。この二つの視点を、重ね合わせて同時に読者に差し出しているという見方が、私の解釈の出発点であった。『アナモルフォーズ』(2003・ふらんす堂)所収。(清水哲男)


April 2442004

 家族寫眞に噴水みじかく白き春

                           竹中 宏

らりと読み下せば、こうなる。家族で撮った春の写真に、噴水が写り込んでいる。シャッター・チャンスのせいで、噴水の丈は短い。画面は、光線の加減でハレーションでも起こしたのだろうか。全体的に、写真は白っぽい仕上がりになっている。そんな写真の世界を「白き春」と締めくくって、明るい家族写真にひとしずくの哀感を落としてみせた恰好だ。このときにこの理解は、一句を棒のようにつづけて読むことから生まれてくる。むろんこう読んでも一向にかまわないと私は思うが、そう読まない読み方もできるところが、実は竹中俳句の面白さではないのかと、一方では考えている。すなわち、棒のように読み下さないとすれば、キーとなるのは「噴水みじかく」で、この中句は前句に属するのか、あるいは後五に含まれるのかという問題が出てくる。前句の一部と見れば、噴水は写真に写っているのだし、後句につながるとすれば、弱々しく水のあがらない現実の噴水となる。どちらなのだろうか。と、いろいろに斟酌してみても、実は無駄な努力であろうというのが、私なりの結論である。この一句だけからそんなことを言うのは無理があるけれど、この人の句の多くから推して、この中句は前後どちらにも同時にかけられていると読まざるを得ないのだ。しかもそれは作者の作句意識が曖昧だからというのではなく、逆に明確に意図した多重性の演出方法から来ているのである。中句を媒介にすることで、掲句の場合には写真と現実の世界とが自由に出入りできるようになる。その出入りの繰り返しの中で、家族のありようは写真の中の噴水のように、短くともこれから高く噴き上がるように思えたり、現実のそれのようにしょんぼりするように思えたりする。そして、このどちらが真とは言えないところに、「白き春」の乾いた情感が漂うことになるのである。またそして、更に細かくも読める。「噴水」までと「みじかく白き春」と切れば、どうなるだろうか。後は、諸兄姉におまかせしましょう。『アナモルフォーズ』(2003)所収。(清水哲男)


July 0672004

 ずつてくる甍の地獄蜀葵

                           竹中 宏

語は「蜀葵(たちあおい・立葵)」で夏。ふつう「葵」と言うと、この立葵を指すことが多い。茎が真っすぐに伸びるのが特長で、そういうことからか、「野心」「大望」などの花言葉もある。「甍(いらか)」は瓦葺きの屋根のこと。♪甍の波と雲の波……の、あれです。句の表面的な情景としては、瓦屋根の住宅の庭に「蜀葵」が何本か、すくすくと成長して例年のように花を咲かせているに過ぎない。たいがいの人は、この季節の風物詩として観賞し微笑を浮かべるだけだが、作者はちょっと違う。無邪気に天に向かって背を伸ばしている蜀葵の身に、何か不吉な予感を抱いてしまったのだ。この天真爛漫さは危ない、と。しっかりと頭上を見てみよ。何が見えるか。そうだ、甍だ。気がついていないだろうが、あの甍は時々刻々わずかながらも少しずつ「ずつて」きている。このままいくと、やがては甍が頭上から一気にずり落ちてくるんだ。君らの上にあるのは「甍の地獄」なのだぞ。とまあ、簡単に言えばそういうことで、むろん作者は甍の落下が現実化するなどとは思ってもいないのだけれど、あまりに無防備な蜀葵の姿に接して、逆に不安を感じてしまったというところか。黒いユーモアの句であるが、事象の表面だけからではとらえられない現代の様相の怖さを示唆した句でもある。そしてこの句はまた、木を見て森を見ない態の句が氾濫する俳句界への批評と受け取ることもできるだろう。『アナモルフォーズ』(2003)所収。(清水哲男)


August 0182004

 ひまはりと高校生らほかにだれも

                           竹中 宏

語は「ひまはり(向日葵)」で夏。漢字名のように、花は太陽の動きにあわせて向きを変える。たくさん咲いていても、どれもみな同じように見える。その向日性において、また同じように見えるという意味でも、高校生の集団に通い合うものがありそうだ。夏休み、部活かなにかの「高校生ら」が向日葵の咲く野か路傍に見えている。炎天下ということもあり、元気な彼ら以外には「ほかにだれも」いない。こうした夏の白昼の光景は、なんだかサイレント映画のように森閑とした印象だ。その印象が、作者をみずからの高校生時代の記憶に連れて行ったのだろう。面白いもので、過去の記憶に絵はあっても、めったに音は伴わない。だからこのときの作者の眼前の光景と過去のそれとは苦もなくつながる理屈で、とたんに作者は過ぎ去ってしまった青春に深い哀惜の念を覚えたのだ。と同時に、いま眼前にある高校生らと向日葵の花の盛りの短さにも思いがいたり、青春のはかなさをしみじみと噛みしめることになった。「ほかにだれも」で止めたのは、いま青春の只中にあるものらへの作者の優しさからだ。彼らは昔の自分がそうであったように、はかなさに気づいてはいない。ならば青春は過ぎやすしなどと、あえて伝えることもないではないか。「だれも(いない)」と口ごもったところに、句の抒情性が優しくもしんみりと滲んでいる。『花の歳時記・夏』(2004・講談社)所載。(清水哲男)


February 0722005

 うすぐもり瞰れば京都は鮃臥す

                           竹中 宏

語は「鮃(ひらめ)」で冬。「瞰」には「み」の振仮名あり。「俯瞰(ふかん)」などと使われるように、「瞰る」は広く見渡すの意だ。気にしたこともなかったけれど、そういえば「京都(市)」の形は「鮃」に似ていなくもない。南端の伏見区を頭に見立てれば、左京区の北部が尾のように見える。学生時代に私の暮らした北区は、さしずめ腹部ということになろうか。といって、作者がそのことを言っているとは限らない。むしろ形ではなく質感的に「鮃」と感じたのかもしれない。「瞰る」についても空から鳥の目で京都の形状を瞰たのではなく、ビルの上階あたりからの眺めを感覚的に全体像としてとらえたのだろう。はっきりしない天候の日に、そうした高いところから何気なく市街を見下ろして、咄嗟に「鮃」がだらっと寝そべっているようだと感じたのだ。街全体がぬめぬめとしていて、およそ活力というものに欠けている。冬場は観光客も途絶えて、京都の最も寂しい季節だから、鮃が臥(が)しているようだととらえても、ことさらに突飛な比喩ではないのだ。暗鬱と言っては大袈裟に過ぎようが、どこか人の心をじめじめと浸食してくるような鬱陶しさが、この季節の京都の情景には漂っている。だが、そのじめじめをくどく言わず、逆に句的にはからりとさばいてみせたところに、作者の腕の冴えを感じた。感心した。『アナモルフォーズ』(2003)所収。(清水哲男)


December 15122008

 皆伐の淵に泡古る年のくれ

                           竹中 宏

慣れない言葉だが、漢字を眺めているうちに、おおよその見当はつくはずだ。「皆伐(かいばつ)」とは、森林などの樹木を全部または大部分伐採することを言う。反対に、適量を抜き切りするのが「択伐(たくばつ)」である。したがって、この「淵」は川の淵ではなく、奥深い山の湖沼のそれだろう。私は、つげ義春の漫画にでも出てきそうな沼を想像してしまった。もともとは鬱蒼たる樹木に取り囲まれていた沼だったのが、いまでは痛々しくもその淵までをも赤裸に姿をさらしている。周囲にはかつて盛んに元気よく水分を吸い上げてくれていた樹木の影もない。生気を失った沼はひどく淀んでいて、淵には泡がぶつぶつと浮いたまんまだ。それらは古びて茶褐色に変色し、沼の淀みをますます露(あらわ)にしているのである。まさにそんな感じの「年のくれ」だと、作者は喩的に述べているのだと思う。とりわけて今年の暮は、嫌でもそんな印象が濃い。淵にこびりついているような古びた泡は年が明けても消えることがないように、今の世の中の淀みも汚い泡も露なままに、そう簡単には消えてくれる可能性はないのである。まったく、なんという歳末であろうか。俳誌「翔臨」(第63号・2008年11月)所載。(清水哲男)


March 1632009

 花の夜をボールふたたび淵を出で

                           竹中 宏

球のボールか、テニスのそれか。夜桜見物の折り、作者がふと川面に目をやると、夜目にも白いボールが浮いてゆっくりと流れていく。作者が目撃した実景は、ただそれだけである。しかし作者は瞬間的に、このボールが長い間川淵に引っかかっていて、それがいま「ふたたび」動き出したのだと思えたことから、俳句になった。では、何故そう思えたのだろうか。無理矢理に想像してこじつけたわけではない。ごく自然に、そう直覚したのだ。この直覚には、間違いなく世代によるボールへの価値観が結びつく。作者と私とはほぼ同世代だが、私たちが小さかった頃、敗戦後まもなくの頃のボールは貴重品だった。野球の試合中でも、何かのはずみでボールが川に落ちると、もう試合どころではない。全員が川まで駈けていって必死にボールを掬い上げたものだった。が、ときどきは、いくら目を凝らしても見つからないことがある。おそらくボールが、川淵の屈まったところに引っかかってしまったに違いないのだ。こうなると、まず見つからない。それでも未練がましく、しばらくは全員でぼおっと悔やみながら川面を見つめていたものだった。この句の実景を目にしたときに、作者の脳裏をすっとよぎったのは、たとえばそんな体験だったろう。だから「ふたたび」なのである。まさか「ああ、あのときのボールだ」と思ったわけではないけれど、ここにはそれに通じる思いがある。ほっとしたような、「なあんだ、こんなところにあったのか」と納得したような……。束の間の非日常的な「花の夜」に誘われたかのようにボールが淵を流れ出て、作者に思いがけない過去の日常をよみがえらせたということになる。私などの世代にとっては、まことにいとおしい時間と空間をもたらしてくれる句だ。俳誌「翔臨」(第64号・2009年2月)所載。(清水哲男)


November 05112009

 巻き貝からのりだす羊富士新雪

                           竹中 宏

週のはじめよりぐっと気温が下がり冬めいてきた。札幌からは初雪の報が届いた。関東ではさすがに雪はまだだが、遠くに臨む富士山は白い雪をかぶっている。東京で見る富士は裾野の部分は隠れて空中に白く雪をかぶった山頂が浮いているように見える。掲句では羊の白さと冠雪をダブらせているのだろう。くるりと巻いた巻き貝から羊がのりだす絵柄は不思議かつユーモラス。それぞれの言葉が紡ぎだすイメージに読み手を立ち止まらせつつ次元の違う世界の手触りを紡ぎだすことが句の狙いなのだろう。句集には最大限に読み手の想像力を見積もった言葉の連鎖で綴られた句が並び読み解くのは難しい。こういう句はあらかじめ落とし所をきめて作られる句とは違い、おそらくは作者も言葉を探り当てながら進んでいく。どこで完成を見切るかが作り手の技といえるかもしれない。『アナモルフォーズ』(2003)所収。(三宅やよい)


April 1342015

 百歳の日もバスとまり蠅がたつか

                           竹中 宏

文的な意味での句意は明瞭だ。百歳になった日にも、バスはいまと同じように動き、蠅はたっているであろうか、と。それ以上の解釈はできない。だが、この句の面白さは、百歳になる日を作者は決して待ち望んだりしていないところにある。それがどこでわかるのかと言えば、いまと変わらぬ日常を指し示すものとして、「バス」と「蠅」を持ってきたところにあるだろう。「バス」と「蠅」はお互いに何の関連もないし、特別に作者の執着するものでもない。そのようなどうでもよろしい日常性を提示することで、作者にとっての「百歳」もまた、どうでもよろしい年齢となるわけだ。この二つの事項を、たとえば作者の愛着するものなどに置き換えてみると、そこで「百歳」は別の趣に生まれ変わり、そこまでは何とか生きたいという思いや、生きられそうもないことへの悲痛を訴える句に転化してしまう。そうしたことから振り返れば、句の「バス」も「蠅」もが、実は作者の周到な気配りのなかから選ばれた二項であることがわかるのだ。「バス」も「蠅」も、決して恣意的な選択ではないのであった。俳誌「翔臨」(第82号・2015年2月)所載。(清水哲男)




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